高校時代の同級生が、学年の同窓会メールリンクに、
「学校全体同窓会の景品に、著書のある人は提供して欲しい」
とポストしていました。
「小説でもよいか?」
と聞いたところ、構わないとの返事だったので、定年前後に書いた2つの小説が
それぞれ10冊ずつ手元に残っていたので、母校宛に送りました。
一つ目の小説は、銀行に勤務して海外赴任をしていた時の経験をもとに書いたものです。
1990年秋から米国に赴任したのですが、当時の日本はバブル崩壊直前でしたが、米国は不況で全米の商業用不動産(オフィスビルやショッピングモールなど)向けの融資が焦げ付いて不良債権化していました。
バブルの勢いで貸し込んだ日本の金融機関は、相当量の融資債権が回収不能になってしまって、大変なことになっていたのですが、件の不良債権の回収が私の任務だったのです。
当時は、(実際には大蔵省の総量規制を契機に既に崩壊しはじめていたのですが)日本国内はバブル崩壊前で、<ジャパン・アズ・ナンバーワン>信仰が色濃く残っていた当時の銀行の本社では「海外部門が無謀に貸し込んで、勝手にこけた」的な感じでした。
つまり「国内は安泰、海外は少し火傷なので、手当てしてこい」という感じでしたね。
日本国内のバブルが崩壊して、金融危機と言われるのは、1990年代半ば過ぎですが、
それまでは海外の債権回収について、私の赴任中の日本の本社内部はほぼ無理解でした。
米国の金融市場、特に法律の縛りを説明し、金融当局の規制の変化を伝えても、特殊な世界の話といった感じでした。
帰国して、国内支店に勤務してみると、日本国内でも海外と同じように、無謀な融資を行って、膨大な不良債権を作っていました。
回収方法も、米国でやったら訴訟で負けるくらいの強引さでした。
結局、洋の東西を問わず、無謀なことをやったら、それ相応の結果が返ってきたわけです。
銀行を退職してから、できれば海外での不良債権回収の実態について、纏めておきたいなと思いましたが、事実を記録すると誰かに迷惑がかかる可能性もあるし、守秘義務違反に
抵触する懸念があるので、考えた挙句、小説形式にしてペンネームで書くことにしました。
いろいろと書いていると、結局原稿用紙300枚くらいになったので、出版してくれるところを探して刊行しました。
あまり売れませんでしたけど、銀行員時代の貴重な思い出になりましたね。
もう一冊は、銀行から出向した会社2社と、定年退職後に勤務したバイオベンチャーでの経験をもとにしたものです。
銀行からの出向というのは、普通は銀行の取引先に転職することなのですが、昔はともかく
バブル崩壊後は銀行と取引先の力関係は変わってしまって、銀行の力が強いとは言えなくなりました。
バブル崩壊を通じて、銀行というものは、都合が悪くなればさっさと逃げ出すことが分かってしまったので、特に借り入れをしていない会社の経営者や社員は、「銀行何するものぞ」
という気持ちが強くて、出向した元銀行員の居心地は、必ずしも良いものではありません。
社員にしてみれば、下積みから何年もかかって昇進してきたのに、いきなり上司が外部からやってくるのですから腹も立つでしょうね。
そんなわけで、それらの3社で経験したことを小説に書いてみました。
これも原稿用紙300枚くらいにはなったので、同じように出版しました。
長く勤めていれば、良いことも悪いこともあります。
定年退職後に、かつての仲間との飲み会で、「俺があの支店に勤務していたころは!」
とか、「あの仕事は俺がいたからできたのだ!」などという人がいます。
また「あいつが偉くなったのは俺のおかげだ。それなのに俺に感謝していない!」といった恨み言をいう人もいますね。
私は、定年退職して会社員生活に別れを告げた後で、過去にとらわれることは止めておこうと決めていました。
折角自由な人生を送る時がやってきたのに、良くも悪くも過去にとらわれていたのでは、
人生が楽しめないではありませんか。
2冊の小説を書いたおかげで、銀行時代の苦しい思い出も、出向後のいやな奴との記憶も
すべて本の中に閉じ込めてしまいました。
もしかしたら、小説を書く時の労力と苦しみが、記憶を浄化して消してくれたのかもですね。
現在の私の生活に、会社員時代の思い出が出てくることはありません。
頭に浮かぶのは、ほとんどこれから先の生活についてです。
これをいかにして楽しいものにするかが最重要事項ですね 笑
たまに銀行時代の友人に会った時に、過去の話をされて、思い出せずに困ることはありますが、そんな時は黙っていれば、先方が勝手に話を続けてくれます 笑
手元に残った小説を梱包して、母校に送る準備をしながら、小説を書いたおかげで
心に屈託なく生活できていることに感謝しました。
次回、もしも小説を書く機会があれば、今度は楽しい話を書いてみたいですね。