• 定年男子のランとマネー

12月14日、奈良マラソンを走ってきました。

妻は「世界遺産10K」

私は「奈良マラソン2025」です。

二人で参加するのは、今回で(たぶん)4回目ですが、おかげさまで4回とも完走しています。

当日は午前5時過ぎに起床。

奈良に住んでいたころは、自宅から駅まで2キロあったため、もっと早く起きて準備しました。

大阪市内に転居して楽になりましたね。

朝食のテーブルで、マラソンの話を始めると、妻が

「私の誕生祝いよりも、マラソンを優先してるなー」

そうです、12月14日は妻の誕生日。

今回は日程がドンピシャにハマりました。

「誕生日おめでとう!」

慌てて付け加えた私 笑

午前7時27分近鉄奈良駅着予定の快速急行に乗ると、つり革がすべて「鹿」

「奈良マラソンの為に、前の日につり革を全部付け替えてくれたんだね」

「すこし擦り切れているから、毎年使っているみたいだねー」

などと話しながら、駅から大会会場へ。

狭い坂道を長蛇の列で、1キロ以上も歩くので、なかなか進まない。

「コースの終わりは、この坂道を走って上がると思うと憂鬱だね」

「ホンマやで」

大会会場の更衣室前で妻と別れました。

私は午前9時スタート。

妻は午前9時半スタート。

私は着替えて、荷物を預けて、Kブロックへ向かいました。

サブグラウンドでかなり後方です。

大阪マラソンの記録が5時間9分だったので、そのままエントリーシートに書いたのですが、きっと速い人が多いのですね。

奈良マラソンは、ほかの都市型マラソンと同じくウェーブスタートです。

Kブロックだと、9時のトップスタートから比べて、10分から15分程度スタートが

遅くなります。(実際は12分でした)

制限時間の6時間は変わらないので、Kブロックにいると、実質の制限時間は5時間48分になります。

奈良マラソンは、坂が多くてキツイので、この12分の差が最後に効いてきますね。

さて、当日のレースプランですが、坐骨神経痛を発症して以来、一度に長く走れなくなってからは、長いレースでは、完走を狙って、最初から歩きを入れることにしています。

歩きを入れることで、できるだけ痛みを悪化させず、脚を回復させながら、なんとか制限時間内にゴールに到達するという作戦です。

おおまかに言って、初めのハーフを2時間半以内、戻りのハーフを3時間以内。全部を5時間半以内で走ると、実質の制限時間5時間48分を何とかクリヤできるという寸法です。

競技場をスタートして最初は下りです。

ここから歩く人はいなくて(笑)、ランナーは結構スピードを出して走っていきます。

近鉄奈良駅近くを右折して西大寺駅方面に3キロくらい走って折り返すのですが、私は

折り返し前で、背中から腰に掛けて少し違和感があり、おまけに少し息が上がってきました。

しかし、ここで歩く人はいません。

どうしようかなーと思っていると、幸いトイレがあったので、流れを離れてトイレに並びました。

ここで少し息を整えて、少しスピードを落として、再びランナーの流れに合流しました。

折り返しから奈良公園方面は、地味な登りです。

奈良駅から奈良公園までは、登りがきつくなるので、適宜歩きを入れながら、春日大社を

右折して、一路天理方面に向かいました。

途中では、心拍数を見て歩くか走るかを決めていました。

元気にトレイルやウルトラを走っていたころは、心拍数が1分間に140を超えると

歩きを入れていましたが、現在は心拍数自体が140迄あがらないことが多いので、

130を超えると歩きを入れて、心拍数を落としてから、再び走り出すことを繰り返しました。

天理が近づくと、いよいよ大会名物の長い登り坂です。

ここでは、Kyoshiroさんが例年通り元気な歌声でランナーを励ましてくれていました。

他にも太鼓やアコーデオンなどの音楽での応援があって、しんどい登りを行くランナーを

元気づけてくれます。

坂を越えてしばらく行くとマラソンの中間点を越えました。

ネットタイムで2時間29分30秒。

予定通りです。

中間地点を予定通りに越えたので、ホッとして歩き出しました。

まだ下りの坂道なので、かなりのランナーが走ってきます。

邪魔にならないように右端によけて、状態を点検しました。

腰の違和感はあるけど何とか持ちそう。

脚は疲れているけど、歩く時間を長くして、堪えることにしました。

左ひざが少し痛くなっているので、持参のサポーターを使うかは考えどころ。

サポーターで絞めすぎて、血流が悪くなることもありますからね。

そこからは、1キロあたりの時間をできるだけ8分以内に抑えるように、努力して走りました。

残り20キロなので、20回勝負です。

1キロごとにでてくる、7分50秒とか8分20秒とかの数字を見て、次の1キロの頑張りを決めました。

エイドで行動食を取る時間や、天理大学でぜんざいを食べるときは、1キロ10分くらいになるので、次は頑張って7分で走る・といった具合ですね。

奈良市に帰ってきて、奈良公園からの直線に入ると、左ひざが痛み出しました。

長時間走る練習をしていないので、身体のパーツの弱い部分から痛み出すわけです。

ここからは身体を無理やり動かすというメンタル勝負 笑

早朝に憂鬱になったダラダラ坂を、だましだまし登りながら、歩いては走りを繰り返して

ようやく競技場入口までやってきました。

目標の5時間半迄、あと2分ちょっと。

(もうすぐ有森さんがいるなあ)と思いながら、入り口をくぐると、有森さんがランナーに

つかまって記念撮影していました。

有森さんの右肩を叩いて、走り抜け、そのままゴールしました。

ネットタイムは、5時間30分44秒。

予定通りです。

完走メダルをもらってから、ゴール写真を撮ってもらって、そのまま更衣室に向かいました。

途中で妻に電話すると、既に帰宅していて、10K完走したとのこと。

誕生日ラン、おめでとう!

荷物を取って、着替えの為、体育館の2階に上がると、身体のコントロールが効きません。

完走タイムは当初予定通りでしたが、身体のダメージは想定以上だったようです。

たぶん、長く走ることに身体が慣れていないからでしょう。

何とか着替えて、憂鬱なダラダラ坂を駅に向かって歩きました。

本日4回目。

ホント、この坂、嫌い!

帰宅して、お風呂に入って、食事して、さっさと寝ました。

翌日は、身体が曲がって、左ひざが痛くて歩けない。

「お爺さんみたいや」と妻。

「ほんとに爺さんや!」と私。

朝から整形外科にリハビリ行って、ぼつぼつ身体を動かしながら慣らしていきました。

夕方に、大阪城公園まで散歩に行くと、妻が階段をポンポンと先に降りていきました。

私は手すりにすがって、こけてはいけないので、一歩ずつゆっくりと下りました。

「元気やなー、筋肉痛は無いのか?」

「今回は無いねー。普段は置いて行かれるから、今日はお返しや 笑」

妻は元気そうで、来年も10Kを走るかもしれません。

私は、この体たらくでは自信がないのですが、2月に大阪マラソンも走るので、

もう少し練習してから、来年どうするかを考えてみます。


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