朝は5時ごろ起床。
窓の外は真っ暗で少し寒いくらい涼しい。
これは走らねばと、ランシュウと半パンでロビーに出て、ホテルの人に走っても大丈夫かと聞く。
敷地内なら大丈夫との答え。
実は、このホテルは夜間に入口の門が閉じられていて、早朝は外に出ることができません。
もしかしたら治安が良くないのかも。
仕方なくホテルの敷地を走る。
1周約800メートル強を3周半で約3キロ。
涼しくて良い気持ちで走っていると、夜が明けてきたので6時ごろに部屋に戻り
シャワーを浴びてさっぱりとして朝食準備完了。
朝食は簡単なバイキング。
食後に少し休息して9時前に出発。
本日はトゥルーズ観光のあと、180キロ走って絶景展望台へ。
そのあと山道を50キロ走って、奇跡の街ルルドへ。
やはり強行軍 笑
スマホを開けると、在バルセロナ日本領事館からメールが。
「悪天候に関する注意喚起」と題して、週末のピレネー地区はかなりの悪天候が予想されるとのこと。
こんなメールを出すくらいなので、天気は相当ひどそうです 苦笑
朝食後にバスに荷物を積み込んで、トゥルーズ市内観光に出発。
トゥルーズは南フランスの都市ですが、内陸部にあるため、添乗員さんによると、ルートの関係で日本からの観光客が来ることは少ないそう。
日曜なので蚤の市やっていました。
しかし、古来よりフランスの交通の要衝であることは間違いありません。
重要な都市であることを現す証拠の一つが、この街がスペインのキリスト教聖地である
サンティアゴ・デ・コンポステラに向かう巡礼路(カミノ)の通り道であることです。
遠くドイツなどから遥々やってきた巡礼者が通過するのがトゥルーズなのです。
キリスト教の3大聖地と呼ばれているのは、教皇のいるローマ、キリスト教発祥の地エルサレム、そして十二使徒のひとりであるヤコブの殉教地サンティアゴ・デ・コンポステラで、
キリスト教徒にとって聖地への巡礼は宗教上とても大切な行事なのです。
トゥルーズに着いてガイドさんと合流し、市内を歩いて大聖堂へ。
途中で猫が迎えてくれました。
もしかして地域猫かな? 笑
大聖堂はミサの最中で入れませんでしたが、入り口にある標識の右下には、この街がカミノの途中にある印が示されています。
ガイドさんの案内で、市内の広場に行くと、ヨーロッパらしい広場に市庁舎があり、装飾が施されていました。
ちょうどフランス最大の自転車競技であるツールドフランスの開催期間で、トゥルーズには7月16日に来て一日中居座るそうです。
つまり街中は、おそらく一日中通行止め 笑
添乗員さんの話では、車が身動きできないため、中止になったツアーもあるとか。
ヨーロッパにいると、自転車で走っている人を良く見かけます。
有名なのはオランダですが、ドイツやスイス、フランス・スペインでも自転車及び自転車競技はとても盛んで、ツールドフランスはその中でも最高峰の大会の一つです。
バスで山道を走っていると、右端を自転車が走っているところに何回も出くわします。
今回も、そのような自転車のあとをのろのろと走ることがよくありました。
小さな競技大会に遭遇したこともあります。
トゥルーズ観光を済ませて、バスはそのあとラモンジーへ。
行く先は標高2877メートルにある展望台で、晴れていればピレネー山脈が一望できます。
昼前にバスに乗り込み、ロープウェイの基地に向かっていると、添乗員さんが電話を受けて
慌ただしく後部座席に座る人に向かいました。
バスを降りてから周囲の人に聞くと、参加者の1人のご主人が集中治療室に入ったとのこと。
昼食のレストランで、添乗員さんと女性が真剣な顔で話し込んでいます。
何も知らないのに話に入るわけにもいかず、周囲はただ見守るのみ。
我々は、昼食後にロープウェイで展望台に向かいましたが、その人と3人の仲間(味噌について
話していた人たち)は、仲間の気持ちを思いやったのでしょう、そこに残りました。
ご主人の容態がよくわからないので、きっと心配で落ち着かないでしょうね。
聞くともなく聞いていると、どうやら奥さんは、急いで帰国するようです。
しかし、こんな異国の山の中からどうやって帰るのでしょう?
フライトはトゥルーズ空港かパリ空港になると思いますが、そこまでどのような手段で
辿り着くのか?
しかも外国語が話せない人が、グループから離れて一人で?
レストランでは、グループの若い男性が一人、スマホでフライトの検索などを手伝っていました。
詳しいことは分かりませんが、山の中から次の目的地ルルドまで一緒に行って
そこから電車でトゥルーズまで行って、中国行きの便に乗り、中国の空港で7~8時間待機して日本行きの便に乗るようです。
一番の不安はトゥルーズまでの電車移動のようでした。
4人を残して、そのほかのメンバーは展望台へ向かいました。
標高2877メートルの展望台は寒そうです。
しかもロープウェイに乗り込んだらすごい霧で、ほとんど視界ゼロ。
バルセロナ領事館からのメールを思い出して、上に行っても何も見えないだろうなと覚悟してゴンドラを降りました。
展望台の景色は、やはり白一色。
幸いなことに思ったほどには寒くはありません。
せっかく来たからとパチパチ写真を撮っていると、30分くらいして霧が晴れてきました。
展望台から見るピレネー山脈は、黒くゴツゴツしていて、荒々しい力で地底から持ち上げられた不気味な迫力を感じました。
「誰か晴れ女がいるんやで」
「我こそは晴れ女!という人が3人いたよ」
妻と私の会話です。
再びロープウェイでふもとに戻り、バスで奇跡の街ルルドへ向かう途中は静かでした。
ご主人が心配な人を慮ってか、仲間の3人もほかの人たちも口数が少ない感じでした。
ルルドに到着後、ホテルで夕食をとっても外はまだ明るいので、我々夫婦は街歩きに出ました。
ルルドには奇跡の話が伝わっています。
「1858年、ベルナデット・スビルーは、生地でもある町の西側にあるポー川のほとり、マサビエルの小さな洞窟で、『白い貴婦人』が数回自分の前に現れたと発言した。熱狂した近隣住民たちが集まり洞窟の前で祈るようになり、礼拝堂のかたちをとるようになるが、ベルナデットにしか『聖母』は見えなかった。信仰篤く好奇心が強い信者たちが流入する」
(出典:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%89
2025/7/14)
この奇跡の話のおかげで、ルルドの街はキリスト教徒が各国から集まってきて、街中が
ホテルだらけだそうです(一説にはパリよりも多いらしい) 笑
そして多くの来訪者が参加するイベントが、毎夜行われる大聖堂前の「ろうそく行列」
今は夏なので、午後9時から始まるこのイベントは、明るさの中で始まります。
午後8時頃から、ろうそくを持った人たちが集まりだして、午後9時のイベント開始を待ちます。
言ってみればミサなのですが、地域柄、司祭の言葉は、フランス語・スペイン語・英語で
それぞれ告げられます。
司祭たちの言葉、合唱などが30分ほど続いた後、集まった人達が、手に手にろうそくを灯して、聖母マリア像を先頭にして広場に入ってきます。
そう、ここは聖母マリアの街なのです。
我々は、大聖堂の周囲を歩きながら、聖母マリアが現れた洞窟の壁面に触れてから、少しだけ奇跡の水を飲んで、大聖堂のテラスに登ってろうそく行列を眺めました。
左隣はスペイン人、右隣は東洋系でしたが、2人ともろうそくを掲げながらアベマリアを
唱和していました。
しばらく見ていましたが、少し寒くなってきたので、暗くなる前にホテルに戻りました。