• 定年男子のランとマネー

定年(当時は60歳)が近くなると、定年退職後の過ごし方についていろいろと思い悩みますね。

私の場合は、初めの職場から数えて3つ目の会社で定年を迎えました。

そのころに考えていたことは、定年後に仕事をしてもしなくても、責任は減って自由な時間は増えるだろうということでした。

つまり一日のうちで物理的にも精神的にも大部分を占めていた仕事の比重が大幅に低下して、そのほかの睡眠・食事を含むあらゆることが時間と気持ちの大部分を占めるだろうということです。

過去に、海外関係の仕事を中心にして、海外生活11年半だった私は、海外に関して

本格的に学習してみたいと思うようになりました。

そのころ少しずつ始めていた資産運用のベース知識として、国際政治の基礎を学んでおきたいとも考えたのです。

といっても60歳まで2年あり、職場ではそれなりに責任ある立場にいたので、仕事をしながら本格的に学べる場所を探しました。

できれば大学で受け身の学習をするよりは、大学院で自分が選んだテーマを研究するという形を取りたかったので、通信で学べる放送大学大学院を選択して、入試を受けることにしました。

<国際政治>

放送大学では、学部は無試験で入学できますが、大学院には修士課程・博士課程に

それぞれ入学試験があります。

当時の試験の課題は、自分が研究したいテーマの説明と英語です。

一次試験に合格し、二次試験は面接でした。

ここでの面接官の一人が、高橋和夫教授でした。

中東政治がご専門で、テレビ番組にも頻繁に出演していた高橋教授は、偶然にも

私が卒業した大学の先輩でした。

在学年度は、一年程度重なっているくらいですね。

面接では、私は、最初の海外勤務地であるスペインにつき研究したいと言い、

高橋先生は「スペインのことは全く知らない」と難色を示していましたが

結果は何故か合格。笑

入学後に始まった高橋ゼミは、原則毎月ゼミに出席する必要があります。

場所は、幕張にある放送大学本部か、文京区にある筑波大学です。

私は当時奈良県の田舎に住んでいたので、ゼミのために毎月東京に行っていました。

当時の勤務先の本社は東京で、毎月会議のために出張していたので、タイミングが合う時は

会議のあと一泊してゼミに出ていました。

ゼミでは、中東政治が話の中心でしたが、世界の警察官である米国の政治も同じように話題に上がっていました。

研究テーマを絞り込めずにいた私に、外務省、地方公務員、JICA、警察官といった

当時のゼミ仲間が、様々な示唆やアドバイスをくれて、ようやく修士論文のテーマが決まって、自分の研究が始まりました。

大学院修士課程では修士論文を完成させることが最大の目的なのですが、そのほかに

30単位を座学で取得せねばなりません。

これらの講義は、すべてビデオに収録されています。

90分(?)の講義を、教科書を見ながら15回受講し、試験に受かれば2単位です。

仕事の合間に、15科目を2年間で修了するのは、なかなかに厳しいものでしたね。

ゼミ仲間との議論は楽しくて、ゼミ後に行われる居酒屋での飲み会はもっと楽しくて

毎月の東京行はとても楽しみにしていました。

こういう生活を2年間続け、60歳で大学院を無事修了。

同時に勤務先も定年になりました。

大学院修了のご褒美として、大学院教育成果報告書「学生論文集」にゼミで1名

選ばれて、研究ノートを掲載頂きました。

良い記念になりました。

<情報学>

大学院修了は前年末にほぼ決まっていたので、次は何をするか考えていました。

当時の勤務先はシステム系の会社でしたが、私はその会社の基幹システム入れ替えの

責任者として足繫く東京本社に通っていました。

基幹システムの入れ替えで、最も大変だったのはデータベースに引継ぎです。

当時のデータベースは、各データの種類ごとに階層別、体系別に整理されていたのですが

会社のデータベースは、何故か体系が分断されて、データベースの引継ぎが出来なくなっていたのです。

結局、新しいシステムを提供してくれる会社と交渉して、データを手作業で移行するという

全く非効率な作業を、無料でやってもらうということになりました。

相手の会社には、こちらが原因なのに大きな迷惑をかけたわけです。

データベースの移行が終わって、大学院修了を控えたころに、ちょうど放送大学大学院

情報学一期生の募集が始まりました。

データベースの重要さを感じ、これからはITへの理解が必要と思っていた私は、畑違いの情報学課程の入学試験を受験。

これも何故か合格しました。

同時に、基幹システム入れ替え交渉を通じて、嫌気がさして、もう辞めようと思っていた

会社から、東京での再雇用の打診がありました。

入社の時に関西勤務を強く望んだ私に、東京勤務を提示すれば断るものと思ったのかもしれませんね。

ところが私は大学院生を継続することが決まっており、ゼミで東京へ行く必要がありましたので、会社経営者及びほかの社員の退職期待を裏切って、再雇用を応諾。

慌てた会社は、急遽私の仕事を造ったものの、十分な仕事が無くて、なんと出社は時間自由で、かつ月一回程度 笑

おかげさまで私は、右も左もわからない情報学の世界で、ゆっくり学習することが出来ました 笑

ちなみにこの時の東京生活で、お茶の水で開かれた大江英樹さんと井戸美枝さんの

「定年男子・定年女子セミナー」に偶然参加して、それ以降の個人事業主生活の背中を

押してもらうことになったのですから、人生は何が幸いするか分かりませんね 笑

<大学院の効用>

再雇用2年目の2016年に会社から更新無し通知がありました。

会社も私の取り扱いに困っていたのでしょうね。

ちょうど大学院修士課程を2年で修了予定だったので、未練なく退職。

今回もご褒美として、「学生論文集」掲載にゼミから2名が選ばれました。

私ともう一人ですが、彼はそのあと国立大学大学院博士課程に進み、数学で

学位を取得したツワモノです。

とても優秀な人で、私の研究にもアドバイスをくれた恩人です。

大学院修了後に、もう少し統計学や数学をやりたくて、大学に移り学部でさらに1年間在学。

放送大学は修士4年、学部1年の合計5年間在学しました。

並行して、フィナンシャルプランナーの開業を目指してCFP資格を1年かけて

取得して、放送大学を終わるとともに開業しました。

その後は、ヒマなFP稼業の傍ら、バイオ系スタートアップに勤務して、そこが

解散して無職になったあと、現在の海外金融関連機関の誘致窓口業務をやっています。

大学院で学んだことで役立っているのは、現在の仕事で海外フィンテック企業と話すときに、国際政治で学んだ政治や地政学の知識と、情報学で学んだITの知識を組み合わせて話せることです。

スタートアップ経験もあるので、金融の世界で意欲ある人たちが、どのように考え、どのように事業を進めていくかを近くで見聞きすることが出来て、とても楽しくやっています。

ここ3年半の給与を考えれば、大学院の授業料は十分カバーできています。

それよりも知識と経験で、知らなかった世界の人たちと話が出来て、何らかの

お役に立っていることが、大学院で学んだ知識と時間への大きな見返りですね。

自分の資産運用への貢献も含めれば、私の大学院生活は大正解です。

あの時は、人生で一番勉強したかも・・と思います。

逆に、あの時にやっておかなければ、70歳になったら、何かやろうという意欲は残っていなかったでしょう。

やりたいことを、やりたいときに、躊躇せずにやってみることが、人生の大きな効用を

生んできました。

様々な出会いと、皆さんのサポートに感謝です。


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