50代は仕事での苦しい思い出が多かった。
50歳で最初の職場を離れて、50代は2つの会社に勤務した。
いずれも辛いこともあったが、今思えば有意義な経験だった。
最初の会社は、財務内容は良いものの、全く内部統制が取れていない会社。
内部はまるで学級崩壊のような感じで、思い付きと感情で経営している印象だった。
私が入社する何年か前に上場したのだが、株式公開はオーナーが株式を資金化する目的だったようで、会社の支配権はオーナーおよびその一族、親しい取引先で固めていて
上場前後で会社の統治に全く変化はなかった。
その会社を去ってから20年が経過して、オーナーの息子が社長となり、最近経営陣のMBOという形でTOBを仕掛けた。
PBRが20年以上、1倍以下で、上場していても経営の先行きが見えないことから、元の
非上場に戻して家族経営をやりたかったと推測する。
ところが、この20年間に、(おそらく)先代オーナーががっちり固めたはずの株式持ち合い関係が崩れたことと、日本にアクティビストが増えて、経営能力がない企業が狙われるようになったことで、そういったファンドに逆TOBを掛けられて、どうやら成立したらしい。
といっても株式の36%を握られただけなので、会社の経営権まで取られたわけではないが、株式の3分の1以上を押さえられたら、重要事項の決議は、実質的にできなくなるので
現在の経営陣に経営能力がなければ、いずれ会社はファンドの手に渡るかもしれない。
世の中には、数%の株式を持っているだけで、創業家として勢力を持つ会社もあるが、(例えばトヨタ自動車)この会社がオーナー一族以外から十分なリスペクトを得る経営をしてきたかと言えば、PBR1倍以下の実績が示すように、なかなかに難しいかもしれない。
私が在籍していたころに、先代オーナーが「家業」と呼んだ事業は、「売家と唐様で書く三代目」を地でいく形となる可能性もあるだろう。
次に勤めた会社は、これもオーナー企業だった。
父親から娘に経営権が渡されたのだが、この娘に経営能力がなく、しかも常識にも欠けていた。
脇に強力なサポーターがいて、感情的な経営ながら、ある程度の資産と技術があったので、
ギリギリの黒字経営を続けていたが、ベテランも含めて従業員がどんどん辞める離職率が高い会社だった。
前の会社でもそうだったが、ここでもオーナーというものは、会社の資産を自分のものと考え、会社の従業員を無条件に従うべきものと考えているようだった。
二代目や三代目というものは、ある意味、従業員や外部に示す仕事での実績がないので、
心中の不安や恐怖を抑えるためには、高圧的になるのだろうと思う。
ここで定年まで勤め、再雇用を2年やったが、契約切れと言われて去った。
内部で何があったかは知らないが、前述の強力サポーターも同時に退任して、ほかの人が
オーナーのサポーター役に付いたようだ。
定年退職前に、退職後の人生を考えて、大学院で国際政治と情報学を学んだ。
それから錆びついていたフィナンシャルプランナーの知識をブラッシュアップするために
定年退職後に1年かけて、上級資格のCFPを取得した。
60代は充実していた
定年後は、ランニングとFP、それに資産運用を中心に生活しようとしていたら、ご縁があってバイオ系のスタートアップ企業に契約社員で就職した。
ここで、株式会社の基礎的な事項(取締役会の運営、株主総会など)のほかに増資手続き、
経理や総務、知財管理など、かなり幅広い分野を担当した。
業務の半分は英語だったので、英語の復習もできて、とても有意義だった。
スタートアップ会社に3年半務めたが、資金難で廃業になり、しばらくして地方自治体の
誘致事業の窓口相談員になった。
採用の条件が、金融経験、海外勤務経験、英語、スタートアップ勤務経験ということで
おかげさまで条件に当てはまった。
最近の金融はITとの関係が深くて、大学院で情報学を学習したことが役立っている。
また担当する相手に外国のスタートアップが多いので、前職の会社で英語を使って仕事をしたことも役立っている。
60代前半は山を走りまわっていたが、60代後半になって、それまでの健康体から、いろいろな病気に見舞われた。
しかし、高校時代の友人たちのおかげで、好い病院を紹介してもらって、何とか仕事もランニングも継続できている。
70代以降は、どうなるだろう?
60代までで、自分ことは、ある程度やり切った感があるので、これからは自分以外に貢献することを考えたい。
東日本大震災以降、継続的に寄付は続けているが、お金は生きているうちに使うべきということから、余力があれば寄付する機会を増やしたい。
自分以外に貢献するとなると、一番は妻。
ここまで付き合ってくれたのだから、最後まで幸せに暮らしてほしい。
美味しい食事や、海外も含めて旅行も行きたい。
次は娘と孫。
相続税清算時課税制度を使って、出来るだけ早い時期から金銭的な援助を行う。
あとは、兄弟や友人たちになるが、みなさん自立しているので、自分の知識や経験を使ってサポートできることがあれば助ける。
貢献ということでは、FP相談や大学シニアコースでの授業も、自分が学習したことを、
他の人に役立ててもらおうと思ってやっている。
父親が70代半ばで認知症になったので、アタマがはっきりしているうちに、もう一度
大学院で研究生活をしてみたい。
テーマは「都市ビジネス」
現在の窓口相談員の仕事内容を、論文にまとめてみたい。
70代半ばまでは、山歩きやランニングを継続するつもり。
その後は、体調や健康状態を見ながら、マイペースで運動を継続予定。
かつては80歳でフルマラソンなどと言っていたが。考えればあと8年半。
欲張らずに、地道に、いけるところまで行き着いてみたい。