• 定年男子のランとマネー

もうすぐ高齢者雇用安定法の改正が施行されますね。

厚労省はHPにわざわざ赤字で説明書きを付けています。

「この改正は、定年の70歳への引上げを義務付けるものではありません。」

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyou/koureisha/topics/tp120903-1_00001.html (2021/01/15 閲覧)

この前提として2019年10月には当時の安倍首相が「国民の8割は65歳以上も働きたいと考えている」との発言をしました。

プレジデントオンライン2021/01/14付記事では、そのことに疑問を呈しています。

「国民の8割は65歳を超えても働きたい」なぜそんな統計結果が出るのか 本音は「今すぐにでもやめたい」 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

身近で考えてみると「働くことの意味」は人によって大きく異なります。

70歳代後半で元気に働いている男性は「遊ぶお金が欲しい」

この方は多趣味でかつ海外旅行が大好きですが、現在はコロナ禍で人と交流できず海外にも行けなくて少し寂しそうです。

70歳近い男性は「子供の教育費用で老後資金を使ったので働き続けなければならない」

別の60歳代半ばの男性は「熟年離婚をして再婚したが、離婚で資産が無くなったので働き続ける」

60歳代の女性は「社会とつながっていると元気でいられる」

自分の人生を主体的に考えて働くことを選択しています。

経済コラムニストの大江英樹さんは

「サラリーマン時代の仕事は苦行、定年後起業してからの仕事は楽しみ」と言っています。

(大江英樹著 「定年前、しなくていい5つのこと」61ページ)

社会学者の上野千鶴子さん「とにかく生き抜くために、自分の頭で考えて仕事をしてきた」

出口治明さんは「仕事は人生の3割」と言っています。

(出口治明、上野千鶴子著「あなたの会社、その働き方は幸せですか?」第3章 第4章)

翻って自分のことで考えてみると、私は個人事業主としてほそぼそとFP相談業を行っているほかに開発ベンチャー企業の管理部に週3日勤務しています。

(そのほかに微力ながらSG運営のお手伝いをしています)

この中で「楽しい」「自分は多少でもほかの人に貢献できている」と感じるのはFP相談とSGのお手伝いです。

ベンチャーの仕事は、多少でも報酬としてお金になるならば自分の持っているスキルと経験を提供するだけという意味合いです。

もちろん仕事というからには(レベルは別にして)会社からは職業人としての要求をされますし、職場のほかの人からも、人間性は別にして、プロ意識からの高い要求をしてきます。

これは「やりがい」と「自分のスキルと知識レベルをあげる」という意味では自分にとって良いのですが、正直なところ現役時代に感じたほどの魅力はありません。

むしろ与えられた仕事をこなすだけならば、大学や大学院に行って自分がやりたい学問やテーマを追いかけるほうに手ごたえを感じるかもしれません。

でも学習では収入を得られない(むしろお金が出ていく)ことから考えると、

何故今の仕事をやっているかは、多少でもお金になるからだということになります。

おかげさまで住宅ローンは返済を終わって、田舎に住んでいることもあって、普段の生活は年金の範囲内で賄えます。

ベンチャー会社の仕事で得たお金は、趣味のトレイルラン用品を購入し、大会参加費用を支払う。または読みたい書籍を買う。

そして賃借しているFP事務所の家賃を支払う。

などのために使っているのです。

雇われて働く仕事への執着は現役時代に比べてかなり低下しています。

このように考えてくると、本当に国民の8割が65歳以上も働きたいと思っているのか?には疑問を感じます。

必要なお金が手元にあれば、どうしても働きたい人は8割もいないのではないでしょうか?

つまり例えば65歳まで働けば、一応の生活が出来て、あとは自由時間を好きなように選択ができる社会と社会制度ができれば良いのです。

ところが問題だと思うのは、日本政府が「国民の8割が65歳以上も働きたいと思っている」という前提で社会制度を運営していくことです。

もっと言えば、その運営はおそらく今までの社会制度の延長線上ではないかと思います。

「65歳以降は自由な選択ができる社会制度」を作るためには、今の制度を根本から見直す必要があると思います。

昨年12月に活動を停止した、人気アイドルグループ「嵐」が木曜日に「VS嵐」という番組をやっていました。

「嵐」の5人とゲストがいろいろなゲームで対戦するのですが、その中に回転するテーブルの上に積木を3つずつ乗せていくゲームがありました。

これはいわば「失敗の押し付け合い」のゲームです。

回転するテーブルの上に、上手く積木を乗せていっても、最後は小さな積木を乗せることになり、それでも上手くいかなくて最終的はバランスを崩して積木の塔自体が倒れてしまいます。

テレビ番組ならば、失敗した人は「ゴメン」というか、罰ゲームでモノマネ一発芸でもやれば許してもらえますが、社会制度では60歳~65歳~70歳と積み上げていって、最後に制度自体が壊れてしまうようなことになれば笑い事では済みません。

制度の積木を積み上げた人は、たぶん誰一人として責任を取らないでしょう。

ことが大きすぎて個人では責任の取りようもありませんしね。

政府を含めた他人の言うことを信じて決断や行動をしても、結果責任を取るのは、最終的には個人です。ほかの人は誰も責任を取ってくれません。

私のところに相談に来られた方には、できれば自分で考えて納得した行動をして頂き、少なくともあとで後悔しないような決断のお手伝いを心掛けたいと思いますね。



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