• 定年男子のランとマネー

「老後の楽しみ方」という演題で講演を依頼されたので、定年前後から現在までの、自分自身の考えや、実際に過ごしてきた年月を思い返して、パワーポイントに纏めています。

平々凡々たる人生の、そのまた一部ですが、PPの枚数が50枚にもなってしまいました。

話の最後の部分は、父親との思い出になりました。

現代の親子間では、息子の成人を待って、一緒にお酒を飲むといった、ほのぼのとした図が

思い浮かびますが、私の父親は寡黙な人で、「一緒に飲もうか?」と言われた記憶はありません。

(書いていると、一緒に1~2度外で飲んだかも、と思えてきました 笑)

私が結婚して、自分の家庭を持った後に、父親と身近に接し始めたのは、父親が認知症を発症して、母親と共に自宅近くに引っ越してきてからです。

私の兄弟と一緒に、両親の家仕舞いを手伝った後、自宅近くのアパートにやってきたのですが、環境が変わったからか、症状が進み、数年たつと(パーキンソン病だったこともあって)

身体が動けなくなり、ほとんど寝たきりになりました。

母親を連れて、父親が入所している施設に、よく見舞いに行きましたね。

寝たきりの父親を車いすに乗せて、ついでに、歩行が困難な母親も車いすにのせて、

妻と二人で、施設の庭で綺麗に咲いている桜を観ながら、時を過ごしたことを

思い出します。

父親は、病気もあって、ほとんど何も話せないのですが、母親が一生懸命話しかけているのを見ながら長年連れ添った夫婦の姿と、自分と妻の老後の姿を重ね合わせていました。

「俺が認知症になったら、同じように話しかけてくれるか?」

「あんたが認知症になったら、身体が動くから、私の知らんうちに、山に走りに行って

多分行方不明やろ。私は体力無いから、山の中まで探しに行かれへんで」

というのが、いつもの夫婦の会話でしたね 笑

父親の意識がなくなってからも、胃ろう処置をして延命していました。

母親は、施設に通っては、ベッドの近くで口腔の掃除を、一生懸命やっていました。

生きていてくれるだけで、嬉しかったのだと思います。

父親と一緒にいる時間には、小学生のころに勉強を教えてもらったことや、高校で私学に行ったので、金銭的に迷惑かけたとか、赴任先のスペインまで来て、孫を抱いてくれたことなど、普段すっかり忘れていることが、次々に思い出されました。

思いがけない、「父親との対話」でした。

こういう時は、都合よく「良い思い出」しか思い出しませんね 笑

葬儀が終わり、納骨をして、父親が60歳のころの写真となって、我が家にやってきてからは、父親の老後生活と自分の老後生活を重ねて考えることが増えました。

父親は、多趣味な人で、詩吟・絵画・書道・園芸など楽しんでいました。

また、ボランティアで教育関係の仕事をして、よく講演に行っていました。

考えてみると、私もいくつか趣味があって、かつ人前で話すことがあります。

ちょっと似ているのかな?と思うと、ますます父親の老後と自分の老後を、

重ねて考えてしまいます。

もしかしたら、父親は、私にとって、これから歩むであろう老後の人生を、

無言で示してくれたのかもしれません。

もとより、親子とはいえ、違う人間なので、歩む人生も違うはずです。

しかし、誰でも初めて歩む老後の人生に、道案内人がいることは、とても心強いことですね。

今になって、父親が何を考えて、老後人生を送ったのかを、もう少し聞いておけば

良かったなとも思いますが、そこは多少でも、私のオリジナリティを活かす場所として

自分なりに考えて、残りの人生を歩んでいくことにします。

このように考えてくると、親は最後まで、子供に何かを教えてくれるということを

実感します。

改めて亡くなった父親と母親に感謝ですね。


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