• 定年男子のランとマネー

何事も「やりすぎ」はいけません。

しかし、最近、周囲から「あいつは、運動やりすぎや」と言われることが増えています。

心配して、忠告やアドバイスをくれる場合が、ほとんどなのですが、困ったことに

そのまま運動を続けていると、「言っても、聞かない奴や」というように、受け止められる

こともあるようです。

私の周囲で、山登りをやり過ぎたので(本当の原因は不明です)、両膝に人工関節を入れた

友人や、私と同じ病気(不整脈)で、同じ手術(心臓焼灼術)を受けて、不幸にも、ランニング中に亡くなった友人がいます。

私と彼らの共通の友人は、前例があるので、心配して「お前も気をつけろ。やり過ぎるな」とアドバイスをくれるわけです。

睡眠と運動

友人を含む、他の人にはうまく説明できないのですが、私が、現在の生活および人生全般でで、最も重視しているものは、睡眠と運動です。

つまり、1日24時間を当てはめていくのに、第一順位は睡眠、第二順位は運動です。

一日の軸は、夜9時半に寝て、朝6時前に起きる。

週に3日は、ランニングする。

週に2日は、ジムのプールで泳ぐ。

この3つが、一日、一週、一か月、一年という周期の基礎になっています。

このほかに、今のところ、週に3日(火木金)は大阪まで仕事で通っています。

そうなると、運動できるのは週に4日です。

運動したい日が5日あるので、一日はランニングと、水泳を同日にやることになります。

つまり、週に一日は、朝走って、午後からジムで泳ぐことになるのです。

また、ランニングも、山へ走りに行くと、20~30キロのランになるので、ハードといえば

ハードですね。

(山へ行った後、ジムで泳いでクールダウンのあと、風呂に入ることもあります)

また、「やり過ぎ」アドバイスをくれる人は、もしかしたら、私が参加している、各種大会の様子を見て、言ってくれているのかもしれません。

ウルトラマラソンやトレイルランニングは、私の年齢の人間にとっては、過酷(やり過ぎ)と感じられるのでしょうね。

残された時間

私は、あと一か月で69歳。来年は70歳になります。

「あと何年、運動ができるかな」

と考えている時間は、あまり無くて

「この大会でゴールできなければ、最後かな?」

「この練習ができなくなれば、ペースダウンして、緩やかに引退するかな」

と毎日考えながら、その日のトレーニングを行っています。

そして、何故、そんなにしてまで運動をするかといえば

運動できることが、楽しいから、気持ちが前向きになるから、に加えて

充実した気分で、何よりも大切な自分の時間が埋められるから

つまり、大会に参加する、または参加のためにトレーニングする時間は、

自分が最も自分でいられる時間であり、この時間を、1分1秒でも延ばしたいと思って、

運動をやっています。

その姿勢が、やり過ぎに見えるのかもしれません。

また、本当にやり過ぎなのかもしれません。

でも、やり過ぎかどうかの基準とは、いったい何なのでしょう?

身体の中身は、個人個人で異なります。

考え方や感じ方も、個人個人で異なります。

結局は、目標をもって運動をやるのであれば、「やり過ぎ」による故障や病気を恐れながら、少しずつ「限界」を試していくしかないのではないかと思います。

人間ですから、運動を続けていると、「限界」は、いつか必ずやってくるので、自分が限界と思ったときには、その時の状況(病気なのか、故障なのか、事故なのか)によって、

諦め方を考えればよいと思います。

最所の話に戻りますが、自分が生活の中で、睡眠の次に重視する運動というものを、

できる限りやり抜きたいのであれば、自分の身体の状態を、慎重かつ楽観的に見つめながら

(医師やトレーナーのアドバイスを参考にしつつ)、できるところまで継続するほかに

良い方法がないと思っています。


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