• 定年男子のランとマネー

8月4日、我が家の飼い猫エルが亡くなりました。

2週間前に、自宅のガレージの車の下で、風に吹かれて涼んでいたのが、妻が車を

発進させたところ、いつもは素早く飛び出して逃げるのですが、何をどう間違ったのか、

車輪に巻き込まれてしまい、前足2か所に裂傷。

立てなくなって、横たわっていました。

お医者さんに連れて行って検査の結果、骨も内蔵も異常無いので、多分ぶつかったショックで動けないのだろうという診断でした。

私たち夫婦は、楽観的に考えて、しばらくすれば立ち上がって、また元気に動き回るだろうと思っていました。

しかし、一向に立ち上がる気配がありません。

一週間後に再びお医者さんに連れて行くと、たぶん脊髄あたりの神経を損傷したようで、

前足はもう動かないだろう。立ち上がることもできなくて、寝たきりになるとの診断でした。

痛みなのか、事故のショックなのか、あんなに食べていたエルが、抱き上げて餌をやってもスポイトで水をやっても、嫌がってほとんど何もとらないので、だんだん痩せてきました。

無理に食べさせようとすると、鋭い牙で噛みます。

「また、噛まれた。いた~」

見ると、妻の指に穴が開いていました。

望みを持って「アルプスの少女 ハイジ」に登場するクララみたいに、エルを応援して

あげれば、エルは頑張ってくれて、気持ちで克服できるのではないかと思い、

妻と二人で「クララ、頑張れ」と言い続けましたが、とうとう立ち上がることなく

事故から2週間で逝ってしまいました。

11年前

エルが我が家にやってきたのは、今から約11年前です。

アメリカから連れて帰った、以前の飼い猫サニーが、病気で亡くなってから、すっかり

ペットロスになっていた妻に、庭先から何度もすり寄ってきて、餌をもらうようになりました。

当時、隣家が空き家だったので、野良猫が住み着いて、そこで生まれたのではないかと思います。

似たような顔つきの猫が何匹か、我が家の周囲をうろついていました。

その中で、エルだけが上手く妻に取り入って、徐々に懐いてきました。

エルは妻狙いで、うちで飼うようになってから、おとなしく妻には抱かれていましたが、

とうとう最後まで私が抱くと、暴れて逃げ出していました。

もちろん、他の人には一切懐きません。

たまに誰かが来るような気配を感じると、さっさと家から出てしまいました。

うっかりして、気か付かないでいて、来客に出会ったときは、慌ててガラス戸から飛び出そうとして、ガラスに頭をぶつけたこともありました。

出産

エルが妻に懐きだして、家に居つくようになったころ、

「早めに病気予防の注射と、不妊手術をしないといけないね」と話していました。

自宅近くに動物病院が開業したので、さっそく注射には連れて行き、少し間をあけて

不妊手術をするつもりでした。

ある日、妻が帰宅すると、エルが縁側近くに座り込んで唸っていたそうです。

近くに死産した猫の子供。

そう、エルはすでに妊娠していたのです。

急いで動物病院に連れて行くと、レントゲンで調べたお医者さんは、

「産道に1匹詰まっています。そして子宮内に3匹います。助けますか?」

このお医者さんが冷たい人というわけではありません。

猫の帝王切開となると、(当たり前ですが)保険がきかないので、手術代を含めて

10万円以上かかるのです。

(ちなみに猫の帝王切開は、お医者さんも初体験だったそうです 苦笑)

もともとが、野良猫ということも、先生の頭にはあったのかもしれません。

しかも、3匹が生き残ると、それらの子猫の世話もしなければなりません。

普通なら、生みの親のエルが世話をしますが、手術直後のエルが、お乳を出して子育て

できるかは、やや疑問でした。

妻は即答したそうです。

「助けてください」

後になって、妻は「あの時、あの瞬間に、命に係わる決断を突き付けられるのは、

きつかった」と言っていましたが。

手術の結果、産道に詰まった子猫は助かりませんでしたが、3匹は無事に産まれました。

オスが2匹にメスが1匹です。

それぞれに名前を付けて育てました。

茶太 ジュニア 愛ちゃん の3匹です。

産まれた時は、3匹とも100グラムちょっとでした。

手術後で苦しそうなエルの近くに置くと、赤ちゃん猫たちはお乳を求めてエルの乳首に

群がりました。

でも猫の乳首は、縦一直線に切開され、縫われた直後のお腹にあります。

子猫たちにお腹を踏まれるたびに、エルは「ぐ~」と痛そうな声を上げていました。

しかし、お乳は出ているようで、子猫たちは遠慮なくエルの傷跡を踏みつけながら、

毎日、必死になって乳首の争奪戦を戦っていました。

私たちの役目は、毎朝子猫たちの体重を計量して記録することです。

お医者さんからは、体重が500グラムになれば大丈夫と言われていたので、毎朝一匹ずつはかりに載せて、何グラムかでも増えて行っているかを、真剣に見ていました。

3匹の体重の増加は、個体差はありましたが、比較的順調でした。

「エルは、頑張ってお乳を出してくれているんだね」

もしも、エルのお乳が出ないと、我々夫婦が交代で、数時間ごとにスポイトでミルクを

与えなければならなかったので、エルの頑張りには大感謝です。

子猫との別れ

子猫たちが500グラムになった時に、写真入りのポスターを作って、もらってくれる人を

探しました。

自宅で飼おうかなとも思ったのですが、元気で弾丸のように走り回る子猫たちを見ていると、成猫4匹が自宅内をうろつくのは、無理だなあと思い、子猫たちが一番かわいいときに

手放すことにしました。

幸い、よさそうな飼い主さんたちが見つかって、3匹とももらわれていきましたが、しばらくの間、エルは家の中で、子猫たちを探して歩き回っていました。

その姿を見ると、可哀そうで、一匹くらい残しておけばよかったかなと、少し後悔しました。

エルの幸せな10年

子猫たちと別れてからのエルは、好き放題暮らしていました。

家に閉じ込めると、暴れて室内を滅茶苦茶にするので、仕方なく網戸に出入口をつけて

出入り自由にしていました。

ご近所には申し訳なかったのですが、エルはほとんど自宅の敷地内で暮らしいていて、

(多分)あまり遠出はしていなかったと思います。

自宅にいる時は、庭のデッキや、ガラス戸の近くで、主に気持ちよさそうに寝ていました。

現役会社員のころに、のんびり寝ているエルを見ていると、定年退職後はエルみたいに

毎日を過ごせたらいいなと思っていましたが、いざ定年退職してみると、毎日寝ているだけでは、とても退屈で私には無理と分かりました。

そういう意味では、エルは私に、無言でいろいろなことを、教えてくれました。

妻の愚痴や、私の独り言の相手にもなってくれ、家族としてよい役割を果たしてくれました。

(何を言っても、にゃ~と返事をしてくれましたね 笑)

亡くなってからまだ数日なので、今にも軒下や2階のベッドから、にゃ~にゃ~言いながら

現れてくるような気がします。

お医者さんに、お菓子を持参して、エルがなくなったことをお知らせし、お世話になった

お礼を言ったところ、奥様から美しいお花と、心のこもったメッセージを頂きました。

しばらくは寂しさが続きますが、エルがいなくなって、我々夫婦も新しい生活を始める時期なのかもしれません。

お盆が過ぎたら、新生活を考えてみます。


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