• 定年男子のランとマネー

12月10日、妻と奈良マラソンに参加しました。

妻は10キロ(3回目)私はフルです。

妻が1回目の時、私は心臓病だったので、沿道で応援。

妻は10キロを63分でゴールしていました。

昨年は一緒に出て、妻は75分くらいでゴール。私は5時間ちょいでゴール。

「お互いあかんね。もう止めるか」と言い合っていました。

しかし、何故か今年も二人でエントリー。

いつものことなのですが、大会が近づくと、お互いに練習不足で、完走の自信がなくなるため、「お前が誘ったからエントリーした」「誘ったのは、そっちでしょ」と責任転嫁が始まります 笑

今回も、妻は11月初めに二人で走った、山の辺の道から龍王山下りで、左ひざを痛めたからDNSしようかな、

私は、5月の座骨神経痛発症以来、腰からの下半身のしびれで、5キロ以上連続でロードを走ったことが無いので、DNSしようかなと言い合いの日々を過ごしていました。

大会前日のランナー受付に行くときも、妻は「近鉄奈良駅からの上り坂で膝が痛ければ、

TシャツだけゲットしてDNSする」、

私も、「あの坂を登って嫌になればDNS」と言っていました。

受付を終わり、瀬古さんのトークを聞いてから、帰ろうとすると、STEPの横で、膝用のテープを販売しているお兄さんがいました。

妻が「これは、本当に効き目あるの?」

お兄さん「大丈夫です、保証します」

妻は、「お兄さんに保証してもらっても仕方ないけど、試しに買ってみるか」

<大会当日>

早朝に起きて、妻は膝にテープを貼って、一緒に会場まで行きました。

私は、自己申告のタイムを5時間超にしたので、遅いJブロック。

彼女も昨年のタイムを基準にしたので、遅めのMブロック。

Jブロックへ行く前に、競技場を通ると、何人かが楽しそうに走っていました。

正式なトラックを走る機会は、あまりないですからね。

Jブロックは、のんびりしていて、スタートの号砲が遠くでなってからも、トイレに行く人が何人もいましたね。笑

Jブロックのスタートは、スタートの号砲から11分遅れでした。

かつて、私が多少速かったころ並んだブロックは、最初から飛び出すランナーがいましたが、

Jブロックともなると、皆さんは比較的ゆっくりスタートです。

好天に恵まれましたが、これは暑くなりそう!

ウサギさんやミニーちゃんなど、さまざまに仮装したランナーもいましたが、当日は

「夏のマラソン?」と思うほど暑かったので

(気温は19℃でしたが、ずっと太陽が照り付けていました)

仮装ランナーは、きっと大変だったでしょうね。

17キロ過ぎの、長い上り坂では「キョーシロー」さんが復活して、元気に歌ってランナーを

励ましていました。

2年前に、FP友達の「まっちゃん」と、彼女のご主人を応援に来た時に、彼女はとてもキョーシローさんに会いたがっていましたが、コロナ禍で彼の応援は無し。

とても残念がっていたことを思い出しました。

彼女は、そのときステージ4のガンで、翌年亡くなったので、キョーシローさんを見せてあげたかったなと思いました。

今年は、ご主人も参加していて、大会後に会って、その話をしたら、

「今年はキョーシローさんに会って、一緒に写真を撮るために参加したんです。

うまく撮れたので、帰ってから遺影に報告します」と言っていました。

天理市に入って、アップダウンというか、アップアップの坂を登りました。

今年は5キロ以上のロードを走っていなかったので、神経痛の痛みを抱えながら、何処まで

走ることができるかのテストのつもりでした。

途中のエイドでは、三室の最中があったので、迷わず2個ゲット。

餡が甘くて美味しかった!

そのほか、エイドは全部寄って、バナナ以外は美味しく戴きました。

(バナナは、カリウムが含まれているので、医者に禁止されています 苦笑)

事前のレースプランとしては、ハーフまでは2時間半。残りのハーフを3時間で帰ってきて

合計5時間半が目標でした。

奈良マラソンの制限時間は、グロスで6時間。

Jブロックでは結果的に5時間49分になります。

今の私にとっては、想定プランから19分の余裕しかないので、結構きつい感じですね。

完走できれば善し、痛みが出れば、DNFのつもりでした。

前夜に飲んだ痛み止めが効いたのか、天理市までは何とか走り続けました。

手元の時計で、ハーフはちょうど2時間30分。予定通りです。

ところがハーフを過ぎると、気が緩んだのか、痛みが出てきて、走っては歩くことを

繰り返すようになりました。

これではウルトラマラソンの走り方ですね。

ウルトラは時間に余裕があるので、歩き走りができますが、マラソンでは関門の制限時間が厳しいので、時間との戦いになります。

心拍計を見ると、110から130の間。

つまり心臓がバクバクいう状態ではありません。

しかし、1キロ走ると息が上がり、足が止まります。

これは、まさにロングを走っていないことの証明です。

天理大学では、昨年は無かった「ぜんざい」が振るまわれました。

大勢のランナーが立ち止まって、食べていました。

私は、図々しくも2杯頂きました 笑

30キロくらいからは、痛みを堪えながら歩いていて、時計を見て「えいやっ!」と走り出すことの繰り返しでした。

奈良市に帰ってくる前に、長い坂を駆け下りました。

途中にキョーシローさんが、道路の中央にいたので、「まっちゃん」を思いながら

ハイタッチをしました。

35キロ前後では、あまりに暑さのせいか、エイドの水が無くなっていました。

水切れのエイドが二か所続いたので、残り7キロを水なしではきついなと思っていると、

道路沿いのコンビニで水を買うランナーが何人かいました。

トレランでは、コンビニも自販機もありませんが、都市型マラソンではお店や自販機が

沢山あるので、たまたま見つけた道端の自販機でペットボトルの水を買いました。

小銭を携帯していて好かった!

残りの7キロを、痛みを騙しながら、歩き走りを続け、各関門を20~30分前に通過するという、あまり余裕のない走りの結果、奈良公園から最後の坂に掛かりました。

どうせ競技場に入ったら、トラックを走るので、坂の終わりは歩いていました。

競技場に入ると、ゲストの有森裕子さんがランナーとハイタッチしていました。

私は、アトランタに駐在していた時に、オリンピックに出ていた有森さんを沿道で応援していました。

その時のアトランタは、夏で道路から陽炎が立つような暑さのなかを、有森さんが第3位で忽然と現れて、私の目の前を、針金のような細い体を運びながら、強い目線で前を見据えて、

再び陽炎の中に消えていった情景をはっきりと覚えています。

「有森さ~ん、アトランタでは沿道で応援していましたよー!」

有森さんは、大きな声で、「ありがとー!」と答えてくれました。

ゴールして、完走タオルをもらって、近くのランナーに写真を撮ってもらいました。

思ったより身体にダメージがあったので、荷物預けに直行し、荷物を受け取って、2階に上がったときに、階段でバランスを崩してしまいました。

幸い近くに人がいて、腕を取ってくれたので、転倒せずにすみましたが、身体のコントロールが効かなくなっていましたね。

先に帰っていた妻に、どうだった?とラインで聞くと、「完走したよ」との返事。

「やったね」と返して、着替えて帰宅しました。

駅に迎えに来てもらって、タイムを聞くと、67分とのこと。

「昨年より改善してるやんか!」

「隣に走っていた、騒がしいおっさんが、ゲストの安田大サーカスの団長で、会話して

騒ぐのを聞いているうち完走していた」とのこと。

「膝テープは?」

「ばっちりで膝は痛くなかった」

大会当日の朝は、2人とも「来年は絶対走らないぞ!」と宣言していましたが

終わってみると、妻は「練習していないのに、去年よりタイムが改善したしなあ」

私は「完走はムリかもと思っていたけど、完走してしまったしなあ」

どうやら、もしも来年の奈良マラソンをエントリーした場合は、再び夫婦の責任転嫁合戦に

なりそうです 笑


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