「いずれの御時にか・・」で始まる源氏物語の作者、紫式部ゆかりの石山寺を、かつての
職場仲間14人で訪れました。
石山寺は、滋賀県大津市、琵琶湖の南端にあるお寺で、創建したのは、東大寺を建立した
僧良弁と伝えられます。
創建当時は華厳宗のお寺でしたが、平安時代以降勢いが衰え、大河ドラマでお馴染みの花山法皇のときに、法皇から石山寺がもしも真言宗に改宗するならば「西国三十三か所」に組み入れてあげると誘われて改宗しました。
その後、宮廷から多くの貴族や女官たちが、京都にほどよく近い石山寺を参詣するようになり、勢いを盛り返したそうです。(ガイドさんの説明)
石山寺は、西国三十三か所の第十三番札所です。
数年前に、西国さん巡りで、ご近所の三井寺や岩間寺と一緒にお詣りしたことがあります。
その時は、いくつかのお寺の御朱印を戴いたので、ゆっくり境内を観る時間が無くて、今回
改めて、ガイドさんの説明を聞きながら参詣することが出来ました。
ガイドさんは、地元の銀行を65歳で退職後、ボランティアで10年間石山寺のガイドを
しています。
お名前はモリさんと言って、YouTubeでも石山寺案内動画を流しているそうです。
ユーモアのある、楽しいガイドさんでした。
(YouTubeを探してみたけど、見つかりませんでした。残念!)
モリさんの説明は、東大門の仁王像から始まりました。
運慶・湛慶作の仁王像は、戦火にも焼け残り、その姿を今に伝えています。
東大門は源頼朝の寄進で建立され、淀君の寄進で大規模改修したそうです。
東大門をくぐると参道です。
参道を進むと、左手に「公風園」があり牛車が置かれていました。
紅葉の季節には、ライトアップされて、光が竹に当たって、とても美しい。(らしい)
料金所で1100円を支払って、中に入りました。(入山+内陣+豊浄殿セット券)
ここで説明があったのは、僧良弁が安置した如意輪観音像の由来と、硅灰石のくぐり岩
(パワースポット)です。
石山寺は硅灰石の上に建てられていて、安置されている仏像は、すべて固い石に腰かけて
片足をあげています。(半跏思惟像)
その硅灰石の岩山をくぐると、どうやら良いことがあるというので、モリさんに勧められるまま、高齢の我々が、次々と狭い岩穴を通り抜けました。
ご利益あったかな? 笑
硅灰石の岩山階段を上ると本堂です。
清水寺や長谷寺と同じく、傾斜地に木組みで立つ造りです。(懸造 かけつくり)
モリさんによれば、ほかのお寺に比べて、最低予算で建てられた(と思う)そうです。
ここも、半分は平安時代の再建、半分は淀君の寄進だそうです。
淀君は、徳川家康の口車に乗って、太閤の遺産を湯水のごとく使いました(モリさん)
本堂には、紫式部が源氏物語の構想を練っている像が置かれています。
本当にこの部屋にこもったのかについては、モリさんの説明はありませんでした 笑
本堂の近くには、見事な硅灰石の壁がありました。
モリさんの勧めで、全員並んで記念撮影。ガイドさんに従順な高齢者たちです。笑
この後は、大日如来像が安置してある多宝塔(残念ながら、如来さまは出張中のようでした)
琵琶湖の景色が望める月見亭。
紫式部像がこれでもかと展示されている豊浄殿を見学し、一路東大門へ戻りました。
モリさんとはここでお別れして、我々は日帰り温泉と昼食のため、送迎バスに乗って
「二葉屋」に向かいました。
9月とは思えぬ猛暑のおかげで、散策しただけなのに全員汗まみれ。
「お風呂に入れてよかったなー」
「ビールが美味いやろな―」
というわけで、風呂上りに恒例の飲み放題宴会。
当初の参加者のうち、数名が所用や体調不良で欠席となり、出席者の話題は自然と体調や
病気の話が主体になりました。
お互いにお年だから仕方ありませんね。
今回は、遠く鳥取県や名古屋市からの参加者があったので、お互いに久闊を叙しながら、
いろいろな話で盛り上がりました。
鳥取から来た友人は、ありがたいことに前泊してくれました。
でも、それはそうでしょうね。笑
盛り上がりついでに
「元気で集まれるうちに、できるだけ会おう!」
という掛け声のもと、次回は11月中旬に集まることになりました。
早っ!
解散は午後3時。
皆さんは風呂上がりのほろ酔い気分で、宿の車で石山駅まで送ってもらい、三々五々家路につきました。
鳥取と名古屋の友人も、それぞれ遠い家路につきました。
この会は今回で38回目なのですが、できれば4年後の入社50周年までにあと15回
開催して53回を達成することが目標です。
(我々の入社は昭和53年なので53回 笑)
そのためには、やはり日頃の体調管理が大切ですね。
何事にも目標はあったほうが励みになるので、これからは年4回のペースで集まって、目標を達成したいと思います。