• 定年男子のランとマネー

元金融庁長官 五味廣文氏

10月25日、大阪倶楽部で元金融庁長官の五味廣文氏の講演を聞いてきました。

五味氏は約20年前の金融危機の時に金融庁長官を務め、各銀行の不良債権処理に辣腕を振るった方です。

僕は、20年前の1997年に米国での不良債権処理を漸く終えて帰国したところでした。
時間をおかずに、日本でも米国と同じような不良債権との戦いが始まりました。

当時は関西地区の支店に勤務していたので、金融庁との直接の接触は、自分の店の資産査定内容を検査官に説明するときぐらいでした。

しかし検査の手法が米国での当局検査と殆ど同じ(恐らく同じ手法を導入した)だったので、次の一手が予測出来て、ずっと国内にいた支店の人たちから驚かれたのを覚えています。

金融行政の変遷

五味さんのお話は1985年の「プラザ合意」から始まります。

ここで「ドル安円高」路線が合意されたことで日本は円高不況になりました。

これを打開するために政府・日銀がとった政策が低金利政策です。

何となく、今の状態と似ていますね。笑

問題は、低金利政策が長期化したことで、お金を借りやすい下地が作られ、信用が膨張していったことです。

つまり資金が株と不動産に流れ込み、経済成長の実態が伴わない資産価値の上昇が起こりました。
(例えば、土地ころがしは付加価値ゼロですね)

五味さんが問題視するのは、過大な資産価値の上昇の過程で、銀行が融資に当たって、担保偏重主義に陥り、事業力の審査を疎かにしたことです。

融資先の事業による返済能力を十分に審査せず、担保価値を重視しすぎて貸したので、担保価値が急落すると大量の不良債権が発生しました。

不良債権処理

ここからは、五味さんをトップとする金融庁が、いかに不良債権処理を行ったかの話です。

1990年の大蔵省の総量規制から始まって、1997年ごろの大手金融機関5社(北海道拓殖銀行、山一證券など)が破綻するまでの官民のリスク対応の遅れ先送り主義)や、1999年の公的資金導入までに、更に日本長期信用銀行や日本債券信用銀行が破綻した経緯などを離されます。

ここでエピソードとして、1992年の軽井沢での自民党セミナーで、当時の宮沢総理が「金融危機対応としての公的資金導入」を述べたのに対して、参加した議員から「選挙に負けるので反対」と総スカンを食った話がありました。

「先見の明」も実現されなければ、単なるエピソードですね。

不良債権処理の金融行政は、まず「どのくらい損失が隠されているか」の実態把握、

その次は「これ以上不良債権を増やさない」ための金融再生プログラムの稼働でした。

この結果、13あった都市銀行は、3つのメガバンクに集約されました

大量のリストラがなされたのは記憶に新しいところです。

戦時から平時へ

2005年に不良債権問題が終息してからは、金融行政は銀行がきちんと金融機能を果たしているかを見る方向にシフトしてきました。

ところが銀行の貸し出し姿勢はディフェンシブなままで、企業の事業力を判断して成長のために資金を融資するところまで行きません。

このままでは銀行の企業としての競争力が低下すると五味さんは懸念されます

この後も五味さんの話は続くのですが、簡単に要約すると、金融情勢は戦争体制から平常に戻ったのだから、銀行は本来の金融機能を駆使して、自らも成長する道を選ぶべきだということになります

但し、バブル発生前の時代と異なることは、現在では銀行は金融機能を独占しているわけではないことです。

フィンテックのような新しいテクノロジーの登場もあって、金融業界の中だけではなく他業界からも強力なライバルが参入してきているので、このままでは脆弱な銀行は淘汰されてしまうということのようです。

個人的感想

現実に金融業界を見てみると、地方銀行の再編の波は本格化しています

単純に考えて、47都道府県ごとに複数の金融機関が並立しているのは、日本の人口や経済力の逓減を考えれば多すぎます。

かつて大手金融機関が統合されたのは、不良債権問題が大きかったのですが、グローバル化する世界の金融に対応するために、国際化・多様化する業務に合わせて莫大なシステム投資を続け、環境の変化や多様化にふさわしい人材育成をおこなっていく負担も大きかったように思います。

メガバンクの経営も厳しそうですが、これまで培った人材と体力で海外を含めた新しいマーケットに活路を見出して生き残りを図っているように見えます。

ところで、地方銀行を始めとする地域金融機関はどのように生き抜いていくのでしょうか?

僕は銀行を離れて10年以上が経過しているので、現状を詳しくは知らないのですが、銀行本来の金融機能と言っても、結局のところ、それを担っているのは銀行の職員です

経済が上り坂の時は、融資判断を間違っても時間が解決することはあり得ますが、下り坂の時はリカバリーの可能性が減少します。

上り坂と下り坂では仕事の仕方は全く異なります

仕事上の判断の良否が人生に直結する場面では、上り坂よりも下り坂の判断はより大変でしょう。

判断の失敗がその人のキャリアの致命傷になるのであれば、判断に従って行動できる勇気ある人は限られてくるような気がしますが如何でしょうか?

世間では、自動車会社や鉄鋼会社など大企業が、決められたルールを守らずに信用を無くしている例が

頻発しています。経営から見ればガバナンスの欠如とコンプライアンスの不徹底ですが、現場から見れば

もしかしたら実務的には厳格すぎるルールで仕事をせざるを得ないということかもしれません。

(想像です。話を聞いたことはありません)

五味さんのおっしゃることはごもっともですが、理想論ばかりだと行き場を失った現場の人は

かつてのように抜け穴を探して、バブルに向かって猪突猛進する可能性が出てきます。

僕の心配が杞憂に終わればよいと思いますが、

今後の地方銀行を含めた地域金融機関の動向に注目したいと思っています。


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