• 定年男子のランとマネー

明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

 

年賀状

もういくつ寝るとお正月」と子供の頃に歌ったお正月も、現代では年末のカウントダウンは盛り上がるものの、初もうでの人出は昔より少なくなったように感じます。

大都市では違うのかもしれませんが、奈良の田舎は静かな正月を過ごしています。

元旦の午前中には年賀状が配達されます。

僕は定年退職してから、徐々に年賀状の枚数を減らしているので、受け取る枚数は年々減少しています。

年賀状に反比例して、年末年始のフェイスブックなどの挨拶は増加の一途です。スマホをしばらくの間放置しておくと、直ぐに何十という投稿やコメントが入っています。
FBで年末の仕事やランニングの様子や、大晦日の一年の振り返りでその人の活動を知ったと思ったら、一晩寝て正月には、FBで同じ人と年始の挨拶を行います。動画を投稿する人もいます。

共通のFB友達が多いので、一日で賀詞交歓会を済ませたような気分になります。

SNS

僕の年代は、SNSを使っている少数使っていない多数に分かれます。

確かにSNSはセキュリティに注意しなければならないし、個人情報が拡散して思わぬ被害を受ける可能性があります。

でも便利です

交通事故を絶滅するには、自動車に乗らないことが解決方法ですが、そんな選択をする人は極めて少数です。

実際には自動運転など、車に事故を起こさせないような方向に進んでいます

SNSも同じように、誰でもが安全に使える方向に進化していくのでしょうね。

SNSを使う人と使わない人の情報格差とネットワークの広がりの差は、今でも大きいと思いますが、今後ますます大きくなっていくでしょう。

知らない人からのアポイントには慎重になる人でも、SNSでメッセージを受け取ると、よほど怪しい相手でない限り、何らかの返事が返すことが多いように思います。

わざわざ調べなくても、共通の知人がいればすぐにわかるので、知りたければ友人にメッセージで身元照会をすることも可能です。

それにフェイスブックやラインなら、ブロックや削除することも可能です。

SNSを使うことで人間関係が希薄になってしまう、と嘆く方も多いと思いますが、

作家の橘玲さんの「幸福の資本論」によれば、恐らくこれからの人間関係は、

極めて少数のプライベート空間(夫婦・親戚など)⇒「政治空間」

多数のオープン空間(趣味の集い、仕事の集まりなど)⇒「貨幣空間」

に分化していくようです。

個人間の情報を深く共有している少数の政治空間の人たち(繋がりがあり、しがらみもある)と、

ある共通項だけで繋がっている多数の貨幣空間の人たち(趣味、仕事、ペットなどの共通項)との

人間関係を上手くコントロールして、ストレス少なく、できるだけ自由に生きることが大切になりますね。

では会社組織のような擬似「政治空間」はどうなるのでしょうか?

定年退職したら、あっさりと縁が切れる会社組織は、典型的な「貨幣空間」だと思いますが、

社内に所属している間は、まるで「政治空間」ですね。

今年はこのような「擬似空間」に何かしらの変化がみられるのでしょうか?

草枕

ここまで書いてきて、ふと夏目漱石の「草枕」の冒頭を思い出しました。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。」

100年以上前の明治時代も今と同じ悩みがあったのでしょうか?

それとも現代が明治維新に匹敵するほどの変化の時代なのでしょうか?

そんな目で2018年を眺めていきたいと思います。


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