• 定年男子のランとマネー

今年の初めから3月くらいまで、10年ぶりに小説を書いた。

テーマはトレイルランニング。

座骨神経痛が悪化して、これから以前のようにトレランをやるのは難しいなと思ったら、

10数年やってきたトレランへの想いを書きたくなった。

数人の友人に原稿を読んでもらってコメントを教えてもらい、さらに書き直して

「小説すばる」新人賞に応募してみた。

万一でもと思った私の期待を見事に裏切って、9月号で発表された一次審査に

我が作品は残らなかった。

応募総数は1653作品で、64作品が第一次審査を通過している。

倍率は25倍以上。

更にここから第二次、第三次の審査を経て、受賞作が決まる。

ここで落ちるということは、私にはまったく才能は無いということだ。

さてここからどうするか?

私にとっての小説は、自分の人生の経験や記憶へのオマージュ的な感覚と、一度過去を整理して区切りをつけて、新しいことをやりはじめようという意欲の現れの2つの意味があるように思う。

やや抽象的に言えば、身近な記憶である短期記憶が、年月が経つにつれて徐々に(普段は思い出すこともない)

長期記憶に移っていく。その過程で良い思い出や悪い思い出の中で印象の強いものが残っていく。

時々起こる記憶違いは、この過程の産物だ。

私にとっての小説は、まだ新しい記憶が長期記憶に移る前に、小説という「外部記憶」に移して、短期記憶のメモリーを空ける作業だ。

デバイスに例えれば、本体ディスクから外付けのハードディスクにデータを移すことに似ている。

自分にとっては風化させたくない記憶だが、いつも身近に持っておくにはデータ量が大きすぎるというわけだ。

この作業を行うことで、短期記憶の容量に余裕が出来て、新たな気持ちで新しいことに取り組めるのだ。

最初に書いた「タワー・オブ・アトランタ」は、銀行員として凄く苦しんだ、思い入れが多い米国の不良債権処理の記憶から決別して、新しい会社員生活を始めるための区切りだった。

その次に書いた「DNAシーケンサ―」は、銀行退職後に在籍した3つの会社の思い出と

一度起業ということをやってみたかったなあという夢を描いた作品になる。

3つの会社には、良いところも嫌なところも、いろいろあったが、それらを全部忘れて

定年後の新しい人生を歩むために書いた。

今回書いた「トレイルランナー」は、10年超にわたって挑戦してきた、トレランやウルトラマラソンなどへの惜別のつもりで書いた。

7回にわたって挑戦した「Kobo Trail」を、自分の身体状況から判断して、これからは無理だなと思ったときに、何かを書いて残したくなった。

自分の原稿を「小説すばる」新人賞に応募してから、約半年加筆せずに放置していたが、

応募の結果が出たのでできればこの小説を膨らませて、何らかの形に残そうかなと思っている。

過去に2冊出版した出版社に連絡してみても良いし、アマゾンの電子書籍の出版を考えることも可能だと思う。

今年のうちに結論を出したいと思っている。


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