1997年に6年半の米国駐から帰国した私の関心事は、これから日本と世界はどうなっていくのだろうということだった。
そんなことを考えた理由は、不動産の不良債権問題に端を発した日本の金融機関の存続危機と、そのあとに派生する日本の経済金融危機に深い危惧を覚えたからだった。
関西に帰って、種々の情報を探っていた時に、近未来に関して最も信頼できそうな議論を展開していたのが、米国の経営学者であるピーター・ドラッカーだった。
以来、ほかの学者や知識人の書籍を読み漁りながら、主にドラッカーの論文や単行本には、
ほとんどすべて目を通した(と思う)
恐らく私の40代はドラッカーに熱中して、50代はドラッカーの言うことを反芻しながら過ごしたように思う。
世の中は、必ずしもドラッカーの言う通りにはならなかったが、未来の姿はすでに現実の中に含まれているというドラッカーの考え方は、仕事の上でも私生活の上でも、大いに参考になった。
ところが、ドラッカーの文章は、(私にとっては)最初から途中までは論理的に進むのだが、
突然結論が飛ぶことがあると感じることが多かった。
ドラッカーにとっては、自分の考えにに沿った、自明の論理的帰結なのだろうけれど、こちらは途中で突然聞いていた話からおいていかれたような気になるのだ。
何回か同じような経験をしてみて、もしかしたら日本語で読んでいるからで、原文の英語で読んだら、少しは状況が変わるのではないかと思って購入したのが、「The Essential Drucker」
2001年版だ。

ドラッカーは2005年に亡くなっているので、この本がほとんど最終の著作に近いと思う。
ところが、英文ドラッカーを読み始めたのはよいのだが、折あしく転職などの私生活の混乱が起こったこともあって、読書を中途半端に放置してしまった。
その後、定年退職、スタートアップ企業でのアルバイト勤務などを経て、コロナ禍が始まった。
また、ロシア・ウクライナ戦争を契機に、世界の物流に異変が生じたことで、世界的に
インフレが顕著になった。
漸くコロナ禍が下火になって、自分自身が70歳を迎えるころに、今度はAIが世の中の表面に現れてきた。
AIを巡る種々の議論や憶測を見ると、自然と近未来を予測したドラッカーの考え方を思い出して、久しぶりにドラッカーを読んでみたくなった。
しかし、この本をじっくり読むにはどうするか?
多少極端で、ものすごく時間はかかるが、一番腹落ちするのは、おそらく筆写だろうということで、老後で時間があることを活用して、毎日少しずつ筆写することにした。
「The Essential Drucker」は、約350ページのペーパーバックだ。
1ページ目から、まず音読して、それから筆写を始めたのだが、案の定なかなか進まない。
理由の第一は、朝の出勤前の時間を当てたので、十分な時間が取れなかったこと。
第二は、前述したように、(私にとっては)多少論理の飛躍があるように感じられて
理解に時間がかかったからである。
それでも愚直に約3年間やっていると、いつしか終わりはやってくる。
ドラッカーの考え方や着眼点は、凡人の私にはなかなか面白くて、時間の都合で毎朝いくつかのパラグラフを書き写す程度だったが、ともすれば目先の事象に捕らわれがちな、近視眼的な私の視野を広げるうえで、大いに助けになったなあと思っている。
350ページ目当たりの最後の章に、ドラッカーは過去のイノベーションとして、1830~40年代の、鉄道・郵便・電信・写真・金融の進歩を上げ、さらに1870~80年代の製鉄、電力、
化学・機械などの進歩を上げ、これらの進歩が産み出してきた社会の格差と不公平を指摘し、
自分の本が次の世代が解決に向けてチャレンジするときの助けになることを願っていると述べている。
これを私なりに現代に引き直すと、2000年代のITの進歩と情報世界の発展、2020年代の
AIを中心とする人間世界の大変革がドラッカーの言葉に重なってくる。
おそらくこれから十年程度は、過去の大変革に匹敵するような変革期が訪れる予感がするので、せっかくのドラッカーの教えを生かしつつ、変革に振り回されず、しっかりと変化を
見て、社会の変化を見ながら自分の生活様式を考えていきたい。